何かが壊れた日

よく晴れていた空には、うすっぺらく白い雲がかかっていた。

普通なら雨は降らないと感じてしまいそうな空の色だが、ここはなにせ山の中。変わりやすく信用ならない。

これは本格的に振り出す前に、さっさと用事を済まして家に帰った方が良いだろうなと、木製の家の窓から空を覗く小柄な少年は思う。

上着を着て、網目の小さなカゴを肩にかける。これで薬草が大量に見つかっても安心だろう。

そんな少年に、若い女性が声をかける――…彼の母親だった。

「本当に行くつもりなの?」

「すぐ戻ってくるし、大丈夫。あと…寝てろって言ったよな」

非難のつもりか半目で少年は母親を見る。間もなく、彼女は苦笑した。

見たところ、心配してくれているのはありがたいけれど、という困惑も含んでいる。

「動いてたら楽になってきたから、平気よ。そんなことより今日はあなたの誕生日なんだから、腕によりをかけてごちそう作ってあげるからね!リクエストはある?」

「そんなこと、じゃないだろ。なにかの病気でひどくなったらどうすんだ……去年も言ったけど、誕生日とかどうでも良い。そんな金あるなら生活費にまわせば良いんだ」

「もう!夢のないこと言わない、誕生日は無駄じゃないの!今はわからないかもしれないけど、家族で誕生日を祝える時間も貴重なの!お父さんも呼んでるからね、はやく帰ってくるのよ」

「た、誕生日なだけで、わざわざ……ここまで帰って来るのも疲れるだろ、ゆっくり休めば良いのに」

「あなたへのお祝いがなによりの休息なのよ!わかった?」

「……行ってきます」

「行ってらっしゃい、はやく帰ってくるのよー」

少年はトビラを開き、外に出る。雲の間からもれ出るうっすらとした陽光に、森が照らされていた。

風はないものの、空気が冷たくもう季節も冬だと感じさせる。この辺りの気候は温暖な方らしいが、それでも寒く感じられた。

呼吸をするたびに、少年の吐く息は白く染まっていく。

結局最後まで母親は休もうとはしなかった。気立てが良く優しい母親だが、頑固な面もあって譲らない所は絶対に譲らない。そんな強情さは自分も似てしまったのかもしれないと、少年は思う。

実際に大したことはないかもしれないけれど、昨日から少し顔色が悪い。本格的に体調が悪いときは、一緒に暮らしている息子にうつさないよう休んだりもしているから、本当にいうほど大したことはないのかもしれないが――…用心にこしたことはないだろう。今からつんでくる薬草で、少しでも良くなればよいのだが。

誕生日を祝われるのは、別に気分が悪いことではない。 むしろ実をいうと口には出さないものの、毎年感謝しているし、ちょっと嬉しいくらいだ。父親にも久しぶりに会えることだし。

けれど家の金銭状況を知っている少年は、生活も苦しいことを知っていた。父は少しでも稼ぎの良い街に働きに出て、母親は山の木の実をとったり、売ったりして生計を立てている。母親の手伝いをすることはあれど、本格的に金を稼ぐということは子供のうちじゃまだまだ出来ないだろう。

誕生日を祝うといっても盛大なパーティーをするわけではない。家族の好物が食卓にたくさんならび、楽しく騒ぐだけ。着飾ったり、余計は装飾もない。ケーキだって母親の手作りである。

――…けれど、手間も暇もかかる。それならば――…自分のことに金や時間を少しでも使うならば、両親が自身の娯楽に使えば良いと思うのだ。子供である自分より何倍も苦労しているし、我慢もさせているのだから。

「だからってあの言い方はねェな…全く誰に似たんだか…」

つっけんどんにああ言ったって、あの母親がきくハズが無かったのだ。

思い浮かべる家族――…母も父も、いつも楽し気に笑っていた。無愛想な自分は一体、誰に似たのか疑問である。そう思うと、反省もあったのだろうか――…ひとしれず、苦笑をこぼした。

少年は山の森の中を、ズンズンズンと歩いていた。よく知る森の匂いもいつもと変わらない。まだ雨の降る様子はないが、はやく帰らなければならない意識がそうさせるのか、その歩みに迷いは見られなかった。

もっとも、生まれた時からこの地方のこの家に住み、おそらくは将来もこの家で過ごし続けるであろう少年にとって、この森は庭のようなもの。魔物や動物は刺激されない限りは大人しく森に隠れており、自ら戦いに出るような凶暴なものは生息していないため、武器が必要無いことまで知っている。

たまに迷子になる人を発見しては、元来た道まで案内することもあった。

しばらく歩き続けて、薬草の採集ポイントへ到着する。木立と木立の間が大きく開き、ハート型の大きな葉っぱの草が生い茂っていた。これをすりつぶして食材に混ぜれば、頭痛や疲労などに効果があったハズ。

幼い頃から母親に連れられ、数年前から1人で来ることも多くなった場所だ。保存用のためにも、ここは多めに摘んで――…と、しゃがみこんで、手を伸ばしたときだった。

「ねえ」

後ろから声がする。

聞いたことも無い。どこか艶の入った、滑らかな女性の声。

――…それと同時に、悪寒もした。根拠は無いというのに。

「何をしているのかしらぁ?」

間延びした口調に、緊張感は無いように感じられる。しかし、あくまで脳が警鐘を鳴らしていた。ヤバイものがそこにいる――…と。

いったん手を止めて、おそるおそる声の方を振り向く。遠い昔、絵本でしか見たことがない存在があった。

ホウキを持っていた。微妙に露出のある、見慣れぬ装束を身にまとい、三角型の特徴的な帽子をかぶっている、長い耳をもちウェーブの掛かった金髪碧眼、長身の女性――…魔女だ。

あれは、そう書かれていた生き物。それが少し距離を取って、こちらを見ている。

ゾッとするような、底冷えしてしまいそうな――…そのような美しさがあった。その柔和そうに見える微笑みにさえ、「魔」がひそんでいる気がする。

「……薬草をつんでる」

「まあ。そんな悠長なことをしていて良いの?」

武器を持ってきていないことを後悔しつつ、少年は立ち上がり彼女に向かってそう言う。

するとなにがおもしろいのか、魔女らしき女性は、自分に向かってクスクスと小さく笑い声をこぼしていた。

空気がはりつめているように感じられた――…けれど、そう感じているのは少年だけだというのもなんとなく悟ってしまう。できるものなら、さっさと逃げ出してしまいたい。

しかし、それを彼女の発言は許さなかった。

「あなたの母親、私の魔法で死んじゃうかもしれなくってよ」

「は…!!?」

それは脳天に、強烈な一撃を与えるような発言だった。

少年は目を大きく見開き、背筋が凍りついていく。対面する魔女は微笑、それもなんてことなさそうな。

「 ど…どういうこ…」

言い終える前に、女性は顔を真っ青にする少年に向かってニコリと愛想良く笑いかけ、容赦なく踵を返した。

木々に隠れ姿が見えなくなっていく。

「待て!お……オイ、待てよ!!」

言いようのない恐怖や悪寒が取れたワケでは無い。今もそれは心にのしかかり、離れないままだ。

それでも絞り出して、大きな声を出す。恐いからと無視をしたり、なにも見たり聞いたことには出来なかった。

『知らない人には、決してついていってはいけない』、その両親の教えだって、アタマに過ぎらなかったワケでは無い。

このまま放置してしまったら、本当に、母親が――…大事な家族が、あの世につれていかれそうな気がして。

母親の体調があまり良くなさそうだったのも、すでにあの魔女の毒牙にかかっているからかもしれないと、考えるだけで激しい動悸が止まらなかった。

空は徐々に曇り始めていた。雨の降る独特のにおいだってする。けれど少年は止まらなかった。

―――…たとえ、それが残酷な罠だったとしても。

ここで、視界が――…世界が、暗転する。

色濃く蘇るのは、とめどなく、赤と黒が降り注いだ地獄のような景色。よく焼けた針を刺されたかのような、鋭い激痛。

あの魔女の、曇りのない高笑い。

魔法を使えるならば、さっさと自分を狂わせてしまえば良いのにと思って意識を手放したことだった。

あれから、どれだけの時間が経ったのだろう。正直なところ、今もそれは分からない。

思い出せるのは――…空はすっかりダークグレー色だったこと。

大粒の雨が、地上に向かってザーザーと降り注いでいる。雨音以外は無音の世界だった。

少年は1人気を失い、横倒しになっていた。倒れた拍子に、泥で顔も服も汚れてしまったようだ。

顔には小さな傷跡、全身はすでにずぶ濡れになっており、冬の空気と雨の冷たさが容赦なく身体じゅうの体温を奪っていく。混乱と悲痛の最中、ぐちゃぐちゃに流れおちた涙も鼻水も涎も、今や雨粒に流されて溶けてしまったようだ。

けれど、未だに魔法の熱はどこかに残っていたようで、ジリリと全身を焦がすような熱さも脈動していた。

ゆっくりと瞼をあける――…歪んだ視界に、景色がうつった。その世界は色を失って、輝きも何も無い。目は虚ろそのものであった。

魔法だったのか呪いだったのか。体力という体力を吸いつくされてしまったらしく、 気がついても起きあがることが出来ない。未だに広がりを見せる刺すような痛みに顔をしかめながら、少年は荒く肩で息をするものの、身震いするような寒さ苦しさでたまらずせき込む。呼吸は落ち着かなかった。

ふと、雨音にまぎれて遠くから声がする。聞き覚えのある、男性の――…父親の声。

より一層小さく、母親の声もした。 もっとよく聴きたいのにも関わらず、雨のノイズがうるさい。

少年は安堵した。

――…良かった、両手で自分の口元をしかと抑え、悲鳴や助けを呼ぶ声を封じたのは正解だった。強くおさえすぎて顔に爪が刺さり血まで出たが、そこまでやった甲斐があったというものだ。

うすれゆく意識の中でこうも思う。間もなく、両親は自分を発見するのだろう。

――――…できれば、このまま雨の中におぼれて、静かに死んでしまいたかったと。

そう思ったのは、何かが壊れたのを知っていたから?

ど う し て 俺 が こ ん な 目 に

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再び目を覚まし、反射的に起き上がってみると、そこはとある宿屋の一室だった。背中に伝う冷や汗の感触が冷たい。

豆電球の茶色い光が、旅の同行人である男性と子供を照らしている。簡素なベッドの中で二人とも、よく眠っているようだった。 隣の部屋には、女性陣がきっと穏やかに眠っているのだろう。

「ゆ、め……」

そう曖昧に、青年がつぶやく。

壁にかかったカレンダーを見れば、今日は自分の誕生日だった。――…そのことを、ここにいる連中は知らない。自分のことを、なにも知らない。旅人なのに、どうして旅をしているのかも。

そうだ――…それでいい。

なにも知らなくていい。名前はうっかり教えてしまい、旅にも同行しているが――…別に、平気だ。戦力として利用できるから利用しているだけ。お互いに、深く関わなければ良いのだ。用が無くなったら、さっさと別れてしまえば良い。ずっと一緒にいなければ良い。いかなる関係も無くて良い。

そうすれば、きっと気付かれない。

もう1度、男性と子供を見やってから、青年は寝転ぶ。今なお長髪をくくる銀の髪飾りを握った。

――…同行してからすぐ、男性に笑顔でツッコまれたことがあった。風呂の中にまで持っていくのも、寝る時に外さないのも異常だと。妙に大人びてるところはあるのに、お守りのぬいぐるみを離せない幼児かと。

貴重品だから盗まれないように警戒している、と答えておいた。ウソはついていない。彼は「ふーん」と言っていた。

意識を手放す寸前、青年はあらためて決意する。

その真意は決して、教えない。

――――…今までも、これからも。

【終】 

気紛れの遊び場。

一次創作/共同創作を気紛れに PBCの話題は「徒然」にて