記譚のはじまり
カラフルで大きな円形のテントの前に、彼女たちは呆然と立っていた。右側だけ伸ばされたもみあげに髪飾りをしたショートヘアで、簡素なアーマーに身をつつんだ少女と、隣にいるのは袖なしワンピースを着たカチューシャ姿の2つくくり幼女。一流の「魔導パティシエ」となるために旅に出たアリシアと、その妹ユリアである。
テントには大きく「魔術楽華団」の文字が刻まれていた。姉妹からしてみれば見たことも、聞いたこともない。魔術を用いたサーカス団なのか何なのか?見れば、草原のど真ん中にも関わらず旅人たちが次々と中に入っていく。
その隣でチケットを販売しているのは、ツノの生えた亜人の茶髪の女性であった。似たような風貌の女性が、アリシアに声をかける。
「公演、もう間も無く始まりますよ~。」
「ははははいっ!」
「……………」
突然声をかけられて割れにかえったアリシアは、びくっ!と肩――…というより全身を震わせていた。その姉の大袈裟な態度に無言で呆れるのは妹のユリアである。
挙動不審ながら、チケット二人分を手渡し、彼女たちはテントの中の闇へと入っていくのだった――…。
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アリシアとユリアは旅の魔導師であった。正確には、アリシアは「魔導パティシエの卵」である。世にもめずらしい魔導ケーキの店の跡取り娘として彼女は生まれ、育てられた。そして誕生日になったこの日、ついに妹ユリアとともに世界の果てにあると言われる伝説の学院へ目指す旅を始めたのだった。
一流の魔導パティシエとなるためにはパティシエとしての能力はもちろん、魔術師としても一流でなくてはならなかった。世界の果てにあるという学院への道はたやすいものではない。途中でモンスターや賊に襲われ、二度と帰ってこられなくなる事態もめずらしくはなかった。
しかしそんな大いなるリスクも、彼女たちの夢のまえにリスクとはならず―――…
リスクとは、ならなかったのだが。
「ああ…………」
「……………」
いつも元気いっぱい明るさが取り柄のアリシアは落ち込んでいた。そんな姉にかける言葉が見つからず、ユリアも落胆していた。
ちょっとした林の中で、彼女たち姉妹はどんよりと落ち込んでいたのである。
それもそのはず。一瞬の隙をつかれ、アリシアは全財産の入った財布を盗まれてしまったのだ。旅の費用だからと、両親が入れてくれたせっかくの大金が、全て一瞬の間に……無くなってしまった。
悔やんでも、悔やみきれない。
「あ、あのう……」
どぉ~んより曇ってしまった姉妹の心には、ちっぽけな声なんて届かない。
「も…もしもし…」
かぼそい声で言われたって、何も聞こえやしない。聞こえていないに決まっている。
返事することさえ、気が進まないのだ。
「き…聞こえてないんで…」
「何ですか?」
「ああっ、えっ!?すす、すみませ……」
こちらはこんなに落ち込んでいるのに、なんとしつこいのだろうと苛立ち混じりにアリシアが返事すれば、予想以上に不機嫌そうな低い声が出てしまったらしく相手は縮こまってしまったらしい。
少し申し訳なく感じながら視線を持ち上げると、そこには短髪の色同様顔を青くしている青年がいた。茶色いベストを着て、髪を紫のリボンでくくり横に流している。上品な印象を受けた。
「そ、その……あなた方が…す、すごく落ち込んでいたから、気になって。」
あと妹さん?らしき人の服装もかなり気になるんだけども、とは思いつつ口には出さなかった。
アリシアが悲しみを秘めた無表情で返す。
「……いえ、別に……」
「あのっ!これ、今日この林を抜けた草原でやってるんで……よ、良かったら、来てくださいっ。」
そう言いながらアリシアとユリアに一枚ずつ手渡したのは、長方形の薄くカラフルな紙切れであった。
「魔術楽華団」と記載されている。
「そ、それでは、僕はこれで…!」
「!…あ、あの…」
「……行っちゃったね、おねえちゃん。」
チケットから外した目にうつる青年は、かなり小さく見えた。
よほど自分たち姉妹に話しかけるのに勇気を使ったのだろう。追いかけて、呼び止める気にはなれなかった。
残されたのは、二枚の「魔術楽華団」のチケットだけであった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そんな回想を頭の中に浮かばせていると、魔術楽華団開演のブザーが鳴り響いた。満席とまではいかないが、客はそれなりに入っている。
客に合わせて、アリシアとユリアも拍手でサーカス団員たちを迎える。
姉妹にとって初めての魔術楽華団は、大興奮のまま幕を閉じた。火の輪をくぐったり、自転車に乗ったり、列に並んで踊ったりするなど、見たこともない曲芸を披露する魔物たち。それを妖艶に笑い操る魔物使いの美女に会場の男性たちは釘付けになっていた。
笑顔のマスクをしたピエロは、派手な衣装でこれまた派手なボールに乗っかり、トスジャグリングを華麗に決める。最後はボールから落っこち、ひょうきんな様子のまま頭を数度下げて退散していた。観客は大爆笑だ。
最後は二人の軽業師と団長が、トランポリンや空中ブランコ、そして大掛かりな魔術を披露した。見たこともない鮮やかな色彩の魔術で、まさに花火のような芸術である。。これには財布のことなども忘れ、姉妹は感極まったまま大喝采をおくっていた。
「あああっ!良かった……まだいてくれてたんですね。」
「……あっ…あなたは…!」
演目が終わり観客もみんな帰ってしまったというのに、姉妹二人でしばらく舞台の方から聞き覚えのある声がしたかと思いきや――…先ほどまで舞台で活躍していた、あのピエロであった。
驚愕する姉妹を前に走ってきて、笑みを浮かべた仮面をとる。彼の素顔はチケットを渡してくれたあの、気弱そうな青年であった。彼は苦笑する。
「す…すみません、こんな衣装で。ええと…初めまして、魔術楽華団の団員で、ピエロのミッシェルです。」
「は、初めまして…私は、アリシアっていいます。」
「……ユリアです、よろしく。」
それぞれ簡素な自己紹介をしたあと、ミッシェルは安堵したかのようにニコリと笑ってみせる。
「アリシアさん、ユリアさん……来てくれてありがとうございます。僕、余計なことをしたかなって…不安だったんですよ。」
「いえいえっ!公園とっても楽しかったです。ね、ユリア!?」
「……はい、とっても。」
「姉妹ともども素敵な時間を過ごせました、ありがとうございます。でも、どうしてチケットを?」
「うーん……お二方、落ち込んでいたから…ちょっとでも、元気出してほしいな、と思いまして…」
宣伝用だったんですが、チケット二枚持ってて良かったです…と、ミッシェルはふわりと笑って付け足す。
「あのう、なにかあった…んですよね?相談くらいなら、僕でも…」
「実は財布、盗られちゃって……」
「…………旅の資金が、パア。」
「そ、そうだったんですか…!え、え、ええと…それなら……」
「ちょっとミッシェル。あんた、何こんな所でサボってるの?」
和やかなムードも一変、なにやらヒンヤリ冷たい声が飛んできた。そちらに視線をずらせば、今度はあの魔物使いのお出ましである。
眉をつり上げる美女に、ミッシェルは冷や汗を一筋たらしていた。
「あ……姉さん…」
「あ、じゃないわよ全く。他の子たちに噛まれたい?それとも、火系魔法で炙られたいの?」
「うぅ…僕には魔力が無いのに…」
ご姉弟さんか、と、アリシアは思う。
くわえて彼女たちの言葉から察するに、魔物使いは魔導師であり、弟のピエロはそうでもないようだ。
「バーカ、魔力が無いからこそ言ってるに決まってるでしょ。……こちらの二人はお友達?」
「あっ、私、アリシアっていいます!」
「妹のユリア、です…」
彼女の迫力にユリアはいそいそと姉の背後に隠れてしまう。高圧的な態度は人見知りに拍車をかけてしまったようだ。
そりゃそうだよねえ…と、アリシアは思う。隣にいたミッシェルも察知したらしく、ただただ苦笑いをしていた。
「……そう、アタシはクリスティーヌよ。魔物使い、やってるわ。正確には召喚師だけども。……まあ、こんなヘタレにお友達なんかいるワケ無いわよね。」
「姉さんは一言一言がきついんだよ…」
「だってあんた、気弱ですぐヘラヘラ笑っちゃってさ…見ていてイライラするんだもん。」
「ご、ごめんよ……」
クリスティーヌは不機嫌そうな仏頂面と取り付く島もない発言に、弟ミッシェルはヘコヘコと申し訳なさそうにするだけであった。
ふ、不憫だあ…とアリシアは思い、ユリアは「お腹が空いた…」とあまり関係ないことを考える始末である。
・・・・・・・・・
これ以上いたら間違いなく迷惑だろうと、一度テントの外に出た。オレンジ色が空をやんわりと包んでいる。
そこに浮かぶ雲を見上げながら、ピエロのミッシェルさんには、あとでちゃんとお礼を言わなくちゃな…と、アリシアは思っていた。
なにせタダで見ちゃったわけだし、ケーキでも作って団員の皆さまにプレゼントするべきかな?という思考にふけっていると―――……
「お主ら、そこで何をしておる?」
「え…わ、私ですか?」
「………」
「妾はお主ら、と、ゆうたのだ。魔術楽華団の公演はとっくに終わったというに…」
現れたのは、変わったアジアンテイストな服装の、杖を持ったおかっぱ赤目少女であった。
そのいでたちから只者ではなさそうで、どことなく、ミステリアスな雰囲気をただよわせている。
「ええと、ピエロさんとお話していたんです。」
「……そのお姉ちゃんとも…」
「あのピエロ、それに魔物使いとな?…その話、妾にも聞かせよ。」
「はい?なんでですか?」
「……妾はここの熱烈なファンなのだ。だのに、そのような妾を差し置いて、ピエロと魔物使いと話をした、だと…?許せん。」
真顔でそう低い低い声でつげる少女に、姉妹はたじたじである。
少女は、多少の威圧感を用いながら姉妹につめよっていた。
「そ、そんなメチャクチャな…」
「……話をした方が、面倒にならなさそう…」
ユリアのそんな提案に、アリシアはかがんで耳元でボソリとささやく。
「えええ…変な喋り方する不審者さんにそんな…」
「ふふっ、妾を愚弄せし者が久方ぶりに現れたのう。」
「き、聞こえてました…!?」
小言でこそっと言ったつもりだったのに!不敵に笑う彼女に、底知れぬ力を感じるのは姉妹の気のせいではないのだろう。
「当たり前だ。自己紹介がまだであったな、妾はイザベラ、呪術師だ。」
「は、はあ……私はアリシアです、聖魔術学院を目指して旅してます。」
「……妹のユリア。姉に同じく。」
「ほほう。お主らは魔術師であったか。……奇遇だな、妾もそこを目指しておる。」
意外すぎる言葉に、アリシアが目を見開く。
「えっ、あなた呪術師…」
「呪術師が魔術をたしなむべからず、なんぞとゆう決まりはない。妾とて、くだんの学院にて素敵な青春をおくりたいのだ。」
「……へえ。」
「…………」
素敵な青春をおくりたいからってだけで、呪術師があの伝説の学院に行くって、なんかズレてない?と姉妹は気付くが、ツッコめない。ツッコミを入れられる空気ではない。
全てのツッコミが、この少女の前では気圧されてしまいそうだ。
「つまり妾たちは、かの地を目指すライヴァル……好敵手、ということだ。」
「…………」
「…………」
「次に会う時は魔術師らしく、魔法で勝負だ。なんとしても会話の内容を聞き出してやろうぞ。……妾の好敵手だとゆうこと、ゆめゆめ忘れるなよ。」
なんか勝手にライバルというか好敵手にされた挙げ句、勝手に次の勝負の約束されて、勝手に退散された。
取り残された姉妹は、ポカンとするのみである。
その後、ミッシェルに再び声をかけられるそのときまで、姉妹はボンヤリと立ち尽くしているのだった。
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